"終わり"に本気で向き合ったバーチャルライバー

※この記事には自分勝手で都合のいい解釈が多分に含まれています。なんだこいつと思ったらすぐブラウザバックしましょう。

皆さんこんにちは。はじめまして。ティムです。
こういうの書くの初めてなんでなんか緊張してます。
突然ですけど普段音楽とか聴いてて「この曲の歌詞なんかVtuber表してる感じする。」とか思ったことありません?ありますよね?私はあります。
で、個人的に私がそう感じる曲があるので紹介したいと思います。
それがこちら。
https://youtu.be/UoN7qINNAX0
the pillowsの「雨上がりに見た幻」です。
元々なんだかVtuberを表しているなと思っていたのですが1/12の樋口楓さんの1stLIVE"KANA-DERO"を体感してその思いがより一層強くなりました。
この記事ではこの曲と照らし合わせながら樋口楓さんと樋口楓さんの1stLIVEについて話したいと思います。

まずは「雨上がりに見た幻」の歌詞を見て頂きたいです。

"ジョークは笑うのが礼儀さ
呆れるなよ 笑ってよ
聞き飽きてるとしても
思ったより遠くまで来た
前ばかりを見てたから
キミの顔忘れたけど

足跡の無い道を選んで
ずいぶん歩いたな
幼い夢傷ついても
今も眺めてる
そう 何度も何度も
キミとともに

全てが変わるかもしれない
蜘蛛の糸をよじ登って
認め合った僕らは
時代も背景もそぐわない
遺物なんだと思い知った
抜け出した壁画の夢

千年後の雨になって
僕らは降るだろう
太陽とも解り合って
虹を出せるかな
叶ったら 叶ったら
綺麗だろうな

踏み外した崖っ淵でも
手を掴んでくれた
雨上がりに見た幻を
今も覚えてる

足跡のない道を選んで
ずいぶん歩いたな
荒野の果て 何処かにきっと
足跡残ってる
それだけが それだけが
生きた証
それだけが それだけが
僕らの誇り"

長い道のりを歩いてきて、そこで付けてきた自分の足跡を振り返るこの曲。
まさに最初は関西に住むJKがZepp Osaka Baysideという大舞台を成功に収めるまでに至った道のりを振り返るという目で見るととても刺さるものがあります。
"思ったより遠くまで来た"
ライブでもそんなことを話していましたよね。
"足跡のない道を選んでずいぶん歩いたな"
"全てが変わるかもしれない蜘蛛の糸をよじ登って認めあった僕らは 時代も背景もそぐわない遺物なんだと思い知った"
デビュー当時、にじさんじは2Dで配信メインというVtuberとしては前例のないもので、ネット上では粗製濫造などとも叩かれていました。
しかも最初はただのアプリの広告塔で。
この先どうなるかも分からない。
それでも諦めず、誰も歩いてない道を踏み固めて足跡を残してきた彼ら。
大きなイベントを経験し、ついにはデビュー1年を前にして日本で1番大きなライブハウスで単独ライブを成功させました。

樋口楓が向き合ったもの。

この歌詞は全体的に刺さるものがありますが、特に刺さる部分が
"太陽ともわかりあって虹を出せるかな
叶ったら綺麗だろうな"
という部分。
自分を雨と比喩して書かれた「なりたかった自分となれなかった自分、それらに向き合うこと」
生きる理由を見つけられない、何も無いと思っていた樋口楓と皆に人気で愛されている元気で明るい樋口楓。
ありのままの姿で圧倒的な人気を誇っていて、自分が辛い時には夜通し話して相棒呼びあった仲間、とその相棒の足枷になっているのではないかと恐れていた自分。
いつ死んでもいいと思ったこと、生きる理由を見つけてまだ死にたくないと思ったこと。
樋口楓さんは自分、相棒、そして終わり。
このライブに至るまでにそれらに本気で向き合ったと思います。
樋口楓というキャラクターに徐々に自分自身の魂を混ぜはじめ、相棒の横に立てるように努力し、後悔しないために歩き出した。
たくさん向き合って認めあって受け入れて、あの大きな舞台で彼女が描きだした虹はとてつもなく綺麗で美しかった。

樋口楓の答え

"荒野の果て
どこかにきっと
足跡残ってる
それだけが生きた証"
樋口楓さんがライブで語った"終わり"について
Vtuberが急速に流行り始めてその熱はいつ冷めるかわからない。
永遠に応援すると言って、結局飽きてしまったコンテンツなんて無数にある。
Vtuberを追う中でそんな漠然とした"いつか訪れる終わりへの不安"を誰しも心のどこかで感じてると思います。
それへの樋口楓が出したアンサーが
「自分への魂へと刻み込み前へと進む」
ということでした。
彼女が残した足跡はいつか雨風にさらわれ消え、忘れられるかもしれない。
でも彼女は、樋口楓として生きた彼女の魂にはその足跡が刻まれ残り続ける。
だから安心して今を楽しもう。
そう思えました。

なぜ1stライブで"終わり"と向き合ったのか

新しい一歩となるこの舞台は"いつかくる終わり"にフォーカスを置いたライブでした。
なぜ最初のライブでそこにフォーカスを置いたのか。
それは"新しい一歩を踏み出すということは、新しい終わりへと1歩を踏み出すこと"と同じだからだと思いました。
Vtuberとして生きるなかで、同じグループのメンバーの卒業、同業者の引退を経験してきました。
その終わりの間際にファンからの「もっと応援してあげられれば良かった」という声。
そういうものを目にすると必然的に自分が終わるときどうなるのかと向き合うことになると思います。
皆を笑わせたい。最初からそう掲げてる彼女が必ず訪れる終わりの時までにみんなに出来ること。
それが最初のライブで"終わり"と向き合うこと。
"いつか音楽は止むから、最高のフィナーレ一緒に迎えよう"
彼女の語った"終わり"は未来を憂うものではなく、今を全力で楽しみ、"終わり"が来た時にファンが
「もっと応援してあげればよかった」と後悔しないためのもの。
だからこの大きな一歩で、始まりの舞台で"終わり"
を強く意識したのでしょう。
そして、それは終わりが来る時まで樋口楓は全力で自分自身も楽しみ、もちろん私達も楽しませるという決意表明。
いつかは終わりが来る。でもそれは今じゃない。
みんなで今このときを全力で楽しみましょう。
1/12を忘れないように。